Forum:日本の法務業界におけるハードウエア中心のイノベーションとESGコンプライアンスの検証

Forum誌では先般、サイードビジネススクール経営学部教授酒向真理氏に、日本の法務業界と、デジタルトランスフォーメーション、および環境・社会・ガバナンス(ESG)要因を取り巻くリスクとコンプライアンスなど、同業界の抱える課題についてお話をうかがいました。

Forum:日本の経済産業省(METI)は2018年に『ITシステム「2025年の崖」の克服』という報告書を発表し、そのなかで日本の労働人口が2040年までに20%減少する可能性について言及しました。METIは、イノベーションの成長不足が原因で、日本は「デジタルの崖」に近づきつつあると述べています。コロナ禍が始まって以降、企業のデジタルトランスフォーメーションはどの程度推進されたとお考えですか?

酒向真理氏他の国々と同じように、日本でも新型コロナウィルス感染症の流行がきっかけとなり、デジタルトランスフォーメーションが急速に進むこととなりました。比較的豊かで安定した社会ではそれまで見られなかったことですが、日本社会のあらゆる側面でデジタルトランスフォーメーションが喫緊の課題となりました。2020年前半、政府は早急にデジタルトランスフォーメーション政策を打ち出し、従来の「ハンコや印鑑」を使った紙文書の提出をやめて、電子署名に移行するというデジタル化政策を推進しました。2021年9月にはデジタル庁が設立され、政府のIT予算やデジタルトランスフォーメーションに関する政策的取り組みが一元化されることとなりました。

さらに、政府は、デジタルトランスフォーメーションに対応した企業の認定制度も推進しています。 また、企業においても、デジタル技術を用いた業務プロセスの改善を中心に、デジタルトランスフォーメーション推進の兆候が見られます。一般財団法人日本立地センターが2022年に国内の製造業と物流業を対象に行った最新の調査によると、回答者の34.5%がデジタルトランスフォーメーションへの投資を増やすつもりだと述べています。事業運営に焦点を絞り、新しい製品、サービス、ビジネスモデルの開発への注力を減らしたいということです。 よく言われることですが、この実現には既存企業とスタートアップの連携が欠かせません。しかし日本は、テックベンチャーの数が足りていないのが現状です。

日本では「2025年の崖」という言葉も聞かれますが、これには背景を理解する必要があります。「崖」とは、基幹系ITシステムの老朽化が徐々に進行し、2025年以降、IT人材の不足により最大で年間12兆円(GDPの2%)の損失が生じる可能性があるとされていることです。この「デジタルの崖」が―奈落の底に向かう下向きの崖なのか、それとも険しすぎて登れない上向きの崖なのか―はさておき、戦いに向けて準備を呼びかける正当な理由となったわけです。一握りの大手の企業やITプロバイダーが対応してはいるものの、これから日本の社会と経済の隅々にまでデジタルトランスフォーメーションが行きわたるかどうかによって明暗が分かれることになるでしょう。

サイードビジネススクール経営学部教授 酒向真理氏

Forum:これらの取り組みのどこが成功し、どこが失敗しているのでしょう?

酒向真理氏電子機器というハードウェア分野で優位に立った日本企業が、なぜデジタルトランスフォーメーションの中核であるソフトウェアの分野では及ばなかったのかということに着目する必要があります。ここで少し歴史を振り返ってみると、その理由が見えてくるかもしれません。日本の産業の基本には製造、いわゆる「モノづくり」があり、労働者や経営陣の間にハードウェア中心の考え方が根付いていたのではないでしょうか。トヨタのような先駆的なメーカーによって、プロセス改善のモデルが作られました。

これがきっかけとなり、多くのグローバル企業がリーン生産と供給の原則だけでなく、その実践方法について学びたいと望むようになりました。デジタルトランスフォーメーションは、、プロセス改善にデジタル技術を応用することにより新たな価値を創出することです。多くの日本企業は、この点において1歩先を行っているはずです。とはいえ、製造現場でのプロセス改善能力を、たとえば法務業務などに応用できるという保証はありません。

しかし、このようなハードウェア中心の考え方によって、日本企業ではソフトウェアが二の次にされるようになり、いくつかのバイアスが生み出される結果となりました。まず、企業は外部ベンダーが提供するカスタマイズされたソフトウェアに大きく依存しています。このような標準化の欠如は、成長分野であるSoftware as a Service(SaaS)においては厄介な問題です。

次に、ITシステムは平均17年という長期にわたって導入されますが、ここには漸進的な革新「改善」が重視されていることと、レガシーシステムの使用によってさらに高額になっているメンテナンスコストを負担する必要があることが反映されています。

最後に、日本の大企業には最高情報責任者がいない場合が多く、経営陣の間で情報通信技術についての理解が不足していることにより、広くエンタープライズソフトウェアや通信技術への投資不足を招く結果になっていると言われています(経済協力開発機構によると、1995年から2017年にかけて、日本における通信技術への投資は横ばいであったのに対し、米国とフランスでは3倍に増加しています)。

もちろん、あらゆる国籍の企業が直面している戦略的焦点の欠如、レガシーシステムへの対応、人材不足など、デジタルトランスフォーメーションを妨げる一般的な課題も存在しています。いずれも、程度の差こそあれ、日本にも当てはまることです。しかし、こうした共通の課題以上に、日本企業のデジタルトランスフォーメーション戦略は、先に述べたようなハードウェア中心の考え方を評価・促進する企業構造による弊害を被ってきたと言えるでしょう。

Forum:日本企業は、金融規制、データプライバシー、サプライチェーン規制など、さまざまな分野でコンプライアンスに対応する必要があります。また、持続可能性、気候変動、現代の奴隷制、ダイバーシティとインクルージョン、コーポレートガバナンスといったESG課題の重要性を促進している点でも突出しています。

このことは日本のビジネスにどのような影響を与えているのでしょうか? また、日本企業はこのような複雑なリスクにどう対処し、未来に備えればいいのでしょうか?

酒向真理氏日本政府は「ソサエティー5.0」というビジョンを掲げることで、基本姿勢を示すことに成功しています。このビジョンは、人工知能、インターネット、ロボティクスなどのデジタルトランスフォーメーションを活用することで、超スマート社会を構築し、経済成長を実現するだけでなく、高齢化や持続可能性といった社会問題にも対応しようというものです。このような背景から、日本のコーポレートガバナンスや報告書でESGが重要な課題となっていることは間違いありません。

現段階での日本のESG投資は、1.6兆ドルの資産を持つ世界最大の年金基金である年金積立金管理運用独立行政法人を中心に動いています。日本でESG格付けが普及することとなった主な要因は同基金にあります。

Forum:これまで約10年にわたって、世界中の法律事務所がリーガルテクノロジーを革新・活用する方法を探ってきました。日本の法務業界では、顧客サービスの提供やテクノロジーとの相互作用について、どのようなアプローチがとられているのでしょう?

酒向真理氏日本では弁護士が不足しています。仕事の大半は、裁判所か法律事務所で行われます。法律事務所は大卒者のなかから、難関の司法試験に合格した人材を選んで採用します。日本の法務業界は、米国や英国の基準からすると、比較的規模の小さい法律事務所が多いのが特徴です。法律事務所は法人顧客の社内法務部門ともやり取りをしますが、これらの法務部門では、法律の学士号を取得していていても弁護士資格を持たない従業員が配置されるのが慣例となっています。

法律事務所の規模が小さいことや、企業の法務部門に法律家でない人材が配置されていること自体が、リーガルテクノロジーを採用するかどうかに影響を与えることはないと考えます。むしろ、これまで契約書などの法律文書の電子化を阻んできた大きな障壁は、先ほども述べたように、印鑑の幅広い使用によって深く根付くこととなった公文書を紙媒体で作成するという文化です。その影響は、行政や司法のほか、ビジネス取引にも及んでいます。

このような障壁はあるものの、日本でも他の国々と同じように法務業務イノベーションが起きています。法律事務所がリーガルテック系スタートアップと連携しつつ、スタートアップに投資を行うという形がとられています。たとえば、2019年後半には、日本の四大法律事務所の1つに数えられる長島・大野・常松法律事務所が、MNTSQ株式会社と約700万ドル規模の提携を締結しました。MNTSQは東京に拠点を置くリーガルテック系スタートアップで、機械学習技術を専門とする株式会社PKSHA Technology(東京証券取引所上場)の関連会社です。同社は、自然言語処理技術を用いてリスクを生じさせる契約条項を検出することで、デューデリジェンスの実施を支援しています。

2020年11月、西村あさひ法律事務所はアジアの法律事務所として初めて米レイネンコート社(Reynen Court Inc.)に出資しました。レイネンコート社はリーガルテクノロジーアプリケーションをホスティングするアプリストアに似たプラットフォームを提供しています。英国に拠点を置き、出資者にはクリフォードチャンス、レイサム アンド ワトキンス、オリック・ヘリントン・アンド・サトクリフなどの法律事務所が名を連ねています。これは、事実上、日本のリーガルテック業界の国際化の道を切り開くものです。

とはいえ、日本のリーガルテック業界はいまだ黎明期にあり、30社ほどのベンチャー企業が存在するだけです。しかし創業者達には、デジタル技術を駆使して主要な問題、すなわちリーガルサービスの提供にかかるコストを押し上げている、非効率で煩雑な業務を解消するという使命があります。


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